ヴォルガ文化圏とその表象をめぐる総合的研究 : フィールドワーク

科学研究費補助金基盤研究(A) ヴォルガ文化圏とその表象をめぐる総合的研究

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ロシア文学の中のヴォルガ:テキスト集

望月哲男訳


ミハイル・ティモフェーエフ『国家の記号圏における河川:ロシアの場合』(2006、部分)

「どの国も自分の国の川をもっている。ロシアの場合それはヴォルガ、すなわちヨーロッパ最大の河川であり、河川中の女帝である・・・・・・」この有名なアレクサンドル・デュマの言葉は、ロシアの記号空間においてヴォルガが占める確固たる地位を擁護するために、しばしば引用されてきた。実際、ヴォルガはヨーロッパ第一の河川である(全長3,530km,流域面積1,369,000平方キロ、すなわちロシア平原の三分の一をしめる)。ただしロシアはユーラシア国家なので、世界で16番目に長いこのヴォルガも、ロシアではオビ+イルトィシ川(5,410km)、アムール+アルグン川(4,440km)、レナ川(4,400km)、エニセイ+大エニセイ川(4,092km)についで、第5位を占めるに過ぎない。他にもわが国には、特別な「首都河川」のステータスを持つ川、すなわちモスクワ川とネヴァ川がある。(中略)

国家の記号圏というものを、われわれは国家の理念の記号・象徴的表象の集積と考えている。河川は海洋や湖沼と並ぶ国家の水域であり、そのイメージや名称は、国土という空間の象徴的イメージ、すなわち「国家景観」の表象に積極的に利用される。強調しておくが、記号圏においては、物理的現実がメンタルな、記号的現実へと変容するのである。

ヴォルガ川はロシア連邦の11の州と4つの共和国(マリ・エル、チュヴァシ、タタルスタン、カルムイク)の領土を通っており、流域に住む諸民族の記号圏において、ロシア民族のものともロシア国家一般のものとも異なるコノテーションを獲得している。現代にあってはヴォルガのイメージは、ロシア国民の記号空間において統合的なシンボルとして機能しており、ただその民族的起源はまずロシア民族的なものとされている。口承文芸や広くは知られていない作品をべつにするならば、芸術においてヴォルガ・イメージが積極的に顧慮されるようになるのは、18世紀の最後の三分の一ほどの時期以降である。

「ヴォルガはきわめて典型的なロシアの領土であるにもかかわらず、わが国の文学においてはまったく記述がない。だがこれはぜひ改められるべきだ。というのも、わが国は国土が広いせいで、ドイツ人が行っているような遠足に小中学生を連れて行くことが出来ないからである」――文芸学者A.N.プィピンは1875年に「ヴォルガとキエフ」という論文にこう書いた。

ただし、国民文学にヴォルガのテーマを組み込む試みは、当時すでに始まっていた。劇作家A.N.オストロフスキーは雑誌『モスクワ文集』の1859年第2号に「ヴォルガ源流からニジニ・ノヴゴロドまでの旅」という共通タイトルで4編のルポルタージュを発表している(「トヴェーリ」「春のキャラバン」「ゴロドニャ村」「ヴォルガ源流への道:トヴェーリからオスタシコヴォまで」)。詩人のN.A.ネクラーソフ「ヴォルガにて(ヴァレジュニコフの幼年)」(1860)を書き、画家のI.E.レーピン『ヴォルガの船曳』(1870-73)を完成させていた。すでに1810年にペテルブルグのワシーリエフスキー島の尖端に建てられた船嘴円柱の花崗岩の土台には、ヴォルガ、ネヴァ、ヴォルホフ(以上ティボー作)およびドニエプル(カンバーレン作)という4つの川を表すアレゴリー彫刻が施されていた。

19世紀末になると、ロシア国民の文化テクストにヴォルガのイメージを盛り込むプロセスに、詩人、作家、画家、音楽家などが組み込まれ、その仕事が20世紀になって広く知られるようになる。『ヴォルガ報知』1883年12号には、D.D.サドーヴニコフの詩「島かげから水脈(みお)へ」が発表された。画家I.I.レヴィターンはプリョースの地で『ヴォルガ夕景』(1888)、『夕べ。黄金のプリョース』(1889)、『雨の後。プリョース』(1889)を描いた。数年後、彼は『爽風。ヴォルガ』(1891-95)を完成させた。ヴォルガのテーマにはゴーリキー、A.N.トルストイなどの作家も取り組んでいる。

20世紀にはヴォルガは完全にシンボルとしてのステータスを確立した。これに貢献したのは、ヴォルガが映画のテーマになったり(G.V.アレクサンドロフのコメディ『ヴォルガ=ヴォルガ』(1938)、『誠実な友』(1954)など)、歌に歌われてラジオやレコードで流されたりしたことである。特筆するべきは、第二次世界大戦の際にヴォルガがスターリングラードの攻防戦で、防衛の最後の砦とみなされたことである。有名な狙撃兵のV.G.ザイツェフの「ヴォルガの背後に我らの土地はない!」という言葉は、歴史の教科書にも収録された(正しくは「われわれ第62軍の兵士および指揮官には、ヴォルガの背後に土地はない! われわれは守り抜いてきたし、今後も死守しようではないか!」)。
20世紀には国土の地図にヴォルガから派生した名前の都市が7つ誕生した。(中略)

ソ連時代にヴォルガに関するテクストが標準教科書に取り入れられたこと、テレビが普及したこと、現在ロシア連邦の領土の8パーセントを占めるヴォルガ流域に、国家の潜在工業力の45パーセントが集まり、448の都市に5千7百万の人が住んでいること――こうしたすべての要因により、ヴォルガはわが国の他のすべての河川をしのいで、国家の記号圏に重要な位置を占めているのである。
(中略)フォークロアでは、母なるヴォルガとイメージは、通例父なるドンのイメージによって補完されている。(以下略)


伝承の中のヴォルガ:V.N.モローヒン『ヴォルガ川の神話と伝説』(ニジニ・ノヴゴロド、1998)

「ヴォルガ川とカマ川」

カマがヴォルガと喧嘩して、合流するのがいやになった。カマははじめ、もう流れを止めてしまおうと、半分まで止めてみたが、そこから先は無理だった。そこで一計を案じて、トンビと打ち合わせた。
「ねえトンビ君、ぼくはヴォルガの下をくぐって向こう側に出るから、ぼくが川の向こうまで行ったところで、聞こえるように鳴いてくれない?」
「いいよ」
こうしてカマはヴォルガの下を掘り始めた。
どんどん掘っていると、そのうちに、イヌワシがトンビを見つけて追いかけだした。トンビはあわてて悲鳴を上げる。それはちょうどヴォルガの真上だった。
カマはもう対岸に出たかと思い、地中からぬっと顔を出す。するとヴォルガの真ん中に出たわけさ。


「ニジニ・ノヴゴロドの起源」

あるモルドヴァの歌ではニジニ・ノヴゴロドの起源が次のように伝えられている。
「あるロシアの公がヴォルガを進んでいた。おりしも山の上で、モルドヴァ人たちが白い寛衣をまとって神に祈っていた。公は家来の武人に訊ねる――『あそこでシラカバ林がゆらゆら揺れて、東に向かって深々と頭をたれているが、あれは何だ?』
偵察の者が報告する――『あれはシラカバ林がゆらゆら揺れているのではありません。モルドヴァ人たちが自分の神に祈っているのであります。彼らのところには桶に入った美味いビールと、梃子につるした卵料理があって(?)、鍋では神官たちが牛肉を煮ています・・・・・・』
モルドヴァの長老たちは、ロシアの公の来訪を知ると、贈り物の牛肉とビールを、若い者たちにもたせてやった。だが若者たちは使いの途中で、牛肉を食い、ビールを飲んでしまったので、ロシアの公に届いたのは、土と水ばかりだった。
公はその贈り物に喜び、モルドヴァ人の恭順のしるしと受け止めて、ヴォルガをさらに下っていった。そうして、うかつなモルドヴァ青年に進呈された土を、岸に向かってひとつかみ投げると、そこには町ができ、ひとつまみ投げると、そこには村が出来た・・・・・・
こうしてモルドヴァの地はロシアの支配下に入ったのだ」

「カザンについて」

ボルガル人の公がヴォルガの岸辺、今ヴェルフニー・ウスロンとなっている町に住んでいた。あるときボルガル人の老婆が水を汲みに行って、石の上で滑って転び、足を怪我してしまった。老婆は怒って叫んだ。
「とんでもない領主様だよ、自分の都の場所も満足に選べやしないんだから! まったく、なんて間抜けだろうね、平らでもないところに町を作るなんて!」
この言葉を聞きつけた公は、老婆を呼び寄せた。老婆は侘びを言ったが、しかし草地になっている左岸には、もっと都にふさわしい場所があると指摘した。それが今カザンの町のある場所だった。だが公の考えでは、それは良い場所ではなかった。沼地があって林があって、おまけにたくさんの恐ろしい蛇がいて、人々は野イチゴ狩りに行くのも恐れていたからだった。
老婆はこんな忠告をした――「冬の間にあそこにたくさんの藁を運んでおけば、春にはそこに蛇が集まってくるから、夏の暑い時期に藁に火をつけて燃やしてしまえばいい」。
その通りのことが行われた。そしてその場所に町が移され、フザンという名がつけられたのだ。


レフ・トルストイ「ヴォルガとヴァズザ」

ヴォルガとヴァズザという二人姉妹がいた。二人はどちらが賢くて生き方が上手かと言い争った。
ヴォルガは言った。「言い合っていても仕方がないわ。私たちもう大人なんだから、明日の朝家を出て、それぞれの道を行きましょう。上手に旅をして、フヴァルィンの国(=カスピ海)に先に着いたほうが勝ちよ」
ヴァズザは承知したが、ヴォルガを騙した。ヴォルガが寝込むとすぐ、夜中にフヴァルィンの国めがけて駆け出したのだ。
目覚めて妹がいないのに気づいたヴォルガは、急がず遅れず坦々と歩み、妹に追いついた。
ヴォルガが自分を責めないのに驚いたヴァズザは、自分のほうが下だと認めて、姉にフヴァルィンの国まで連れて行ってくれと頼んだ。ヴォルガは妹を許し、連れて行ってやった。
ヴォルガ川はオスタシュコヴォ郡ヴォルゴ村の沼に発する。そこには小さな泉があり、そこからヴォルガが流れているのだ。ヴァズザ川の源流は山の上だ。ヴァズザはまっすぐに流れ落ち、ヴォルガはくねくね曲がっている。
ヴァズザは春に早く氷を割って流れ出すが、ヴォルガは遅い。だが二つの川が並ぶ頃には、ヴォルガは30尋(ひろ)もの幅になっているが、ヴァズザはまだ狭くて小さな川である。ヴォルガはロシア全土を3,160露里も流れ、フヴァルィンの海(カスピ海)に注ぐ。満水時の川幅は、12露里にも及ぶ。


ロシア詩の中のヴォルガ:

スマローコフ:「オード」(1760)

谷を浸しながら、ヴォルガは
まっしぐらに進んでいく
あちこちの岸辺を濡らし
河口へと急ぎ流れる

道中おまえの流れは変転を見る
災いと幸いの織り成す鎖を
緑なす草原も通れば
砂地のステップも通るだろう

同じように我らが時代も
道程にさまざまな痕跡を見てきた
喜びに恵まれたときもあれば
災いに見舞われたときもあった

栄えあるよろずの川の母よ
カスピ海の高波におまえはやがて出会い
そして海へと消えてゆく
我らが時代と同じく、永遠のうちに

N.カラムジーン:『ヴォルガ』(1793)

この世でもっとも神聖な川
クリスタルの水の女王、母よ!
はたして私は貧弱な竪琴で
ヴォルガよ、汝を称えようというのか、
女神の歌に鼓吹され
汝の名声に驚かされて?
はたしてわが弦の調べによって
汝の波の剛きざわめきのさなか
その波の細かなしぶきに濡れ
胸の震えを元気に代えて
お前の岸の美を称えるのか
そこには数々の町が栄え
波打つ草原が輝く
深い森の木陰で
太古にはそこにはただひたすら
獣たちの恐ろしい咆哮のみが響き
耳に優しい人声に
応える声は決してなかった
かつてその岸辺に住んでいたのは
キプチャク・ハン国の諸民族
空中を矢がうなり飛び
異教徒たちの旗印が
聖なる、しかし弱きキリスト教徒の血で
しばしば濡れた。
敵どもは貪り食った
不運ないにしえのロシア人の死体を
だが今そこには、ただひとつの国家の
国民が平穏に暮らし
そろって唯一の女神を敬っている
幸福と栄光の女神を
(中略)
おおヴォルガよ、怒れるときに
猛くあり、恐ろしくあればあるほどに
慈しみのときには、優しく美しい
汝こそまさに地上における神の姿だ!
(中略)
汝もまたいつか生を終えねばならぬ!
しかしその前にあまたの国民が
滅びては灰燼に帰し
花咲く自然の輝きも
汝の岸で色あせることだろう。

N.A.ネクラーソフ:『ヴォルガにて』(1860)


・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
あわてるな、わが忠実なる犬よ!
なぜ俺の胸に飛びついてくるんだ?
まだ猟には間に合うぞ。
驚いたろう、この俺が、根が生えたように
ヴォルガのほとりに一時間も立ち尽くし
じっと眉をひそめて、黙っているので。
俺は思い出したんだ、青春時代を
だから浸っていたいんだ、思い出に
こうして自由気ままに。俺はまるで
物乞いみたいだ――ほらあそこの貧しい家
あそこなら、たぶん、もらえても小銭一枚。
だがあの別の家――あれはもっと金持ちで、あそこなら
おそらくちょっとは実入りがいいはず。
だが、物乞いは避けて通る。というのも
金持ちの家では庭番がペテン師で
物乞いに何も分けてくれないから。
おやあの家はもっと豪華だが、でもその家でも
ひっぱたかれんばかりに追い出された!
結局絵に描いたように、村中歩き回っても
一軒も当たりがなかった!
頭陀袋は空っぽで、ひっくり返してもパンくずも出ない。
そこで物乞いが後戻りして
みすぼらしい陋屋へ行くと――ああ嬉しい。
パンの皮を投げてくれた
哀れな物乞いは、まるで世慣れた犬のように
獲物を人のいない場所まで運び
そうしてかじりつく・・・・・・早くから俺は
身近なものを大事にせず
まだ子供のような足で
父の家から出て行った。
友たちは俺を引きとめ
母親は懇願した。
愛する森はこうささやいた――
いいか、故郷の空ほど良いものはないぞ!
故郷の草原、故郷の平原ほど
のびのびできる場所はない――
この川の優しい波たちもまた
そろって同じ歌を歌ってくれた
だが俺は、何も信じようとはしなかった
いや――と俺は当時の生活に言い捨てた
――ただで手に入った平穏なんて
俺の好みには合わないのさ・・・・・・

あるいは力不足だったのか
あるいは俺の仕事なんて用無しだったのか
ともかく俺は人生を無駄にした
むかし大胆に夢見たことが
今では思い出すのも恥ずかしい!
自分の心の力をすべて
緩慢な闘いに使い果たし
人生から隣人にも自分に
何一つ手に入れることもできぬまま
俺はおずおずとドアを叩く
わが貧弱な青春時代のドアを
――おお、わが哀れなる青春よ!
許してくれ、もう俺も角を折った!
忘れてくれ、国を出るとき
お前を馬鹿にして喋り散らした
あの不遜なるたわごとを!
忘れてくれ、お前の平穏に飽き足らず
何度も何度も泣いて流した
あの愚劣なる涙を!
それより優しく送ってくれ
俺の心を安らげてくれる
何かを! 俺は疲れ、
自分への信頼も失い
心にのしかかってこないのは
ただ少年時代の思い出だけだ・・・・・・


多くの者と同様、俺は片田舎に、
大きな川のほとりに育った
ただ鴫たちだけが鳴き
葦原がにぶくざわめき
白い鳥の群れが列を成して
霊廟の彫像のごとく
砂地にどっかりと止まっているところだ
遠くには山が見え
果てしなく続く青い森が
空の果てを隠している
一日の道程を終えた太陽が
息抜きに向かう方角を。

若い頃から怖いもの知らずで
他人のことも兄弟と思い
やがて森の精や小悪魔たちさえ
怖がらなくなった。
あるとき乳母がこう言った――
「夜中にちょろちょろするんじゃないよ
家の穀物小屋の裏には狼が待ち伏せしているし
庭の池では小悪魔どもが遊んでいるから!」
その夜俺は庭へ出ていった
別に小悪魔が好きではないが
ただ一度見てみたかったのだ。
歩いていくと、夜のしじまが
ある種の眼力を備えているようで
この世のすべてがわざと黙って
生意気な小僧のたくらみを
じっと見守っているかのようだった!
すべてを見抜くこのしじまの中では
なんだか足の進みもはかどらない
家に帰るべきではないか?
もしこのまま小悪魔どもに襲われて
池に引きずっていかれ
水の中で暮らせといわれたら?
しかし俺は戻らなかった。
池の上には月が遊び
岸辺の木々の連なりが
水の面に映っている。
しばし岸辺に立ったまま
耳を澄ますが、小悪魔どもはうんともすんとも言わない!
池の周りを三度回っても、
悪魔は浮かんでも来ないし、やっても来ない!
木々の枝の合間や、
岸沿いや水中に生えている
大きなごぼうの葉の間を見つめ
そこに何か隠れていないかと探す
小悪魔なら角でわかるはずだ
だが誰もいない! 俺はそこを立ち去る
わざと足取りを押さえつつ
その一夜は無駄に過ぎた
だがもしも誰か友かあるいは敵かが
茂みに潜んでいて急に叫んだら
あるいはこの俺に驚いたフクロウが
急に頭上に舞い上がったなら
きっと俺は気を失って倒れていただろう!
つまり、好奇心に駆られながらも、俺は
内心の恐怖を押し隠し
そしてこんな無駄な闘いのために
少なからざる力を失ったのだ。
その代わりこれ以来身についた
独立無頼の習慣が
俺の生き方の指針となった
ただ所詮プライドの強い運命が
奴隷に生まれた人間を
もう一度奴隷に戻してくれたが!


おお、ヴォルガよ! しばらくぶりで
またお前に挨拶に来たよ。
俺は変わってしまったが、お前は変わらず
澄んでいてゆったりと流れているな
あたり一面の景色も変わらず
島には砂地のただ中に
あの同じ修道院が見える
その鐘の音を聞けば
胸に甦ってくるよ
かつての日々のおののきがが
何もかも全部むかしのまま・・・・・・ただ
浪費した力、過ぎた年月は戻らない・・・・・・

もうじき真昼だ。炎暑のあまり
砂浜では足裏まで焼け付き
漁師たちは水上の桟橋にぎっちりと
並んで座ってまどろんでいる
コオロギが鳴き、草原からは
ウズラの鳴き声が聞こえる。
まったりとした緩やかな波の
しじまを破ることもなく
平底船が川を行く。
一人の若い店員が
笑いながら連れの女を追いかけて、
甲板を走っている。可愛らしくて、
ふっくらして、きれいな女だ。
聞けば、男が女に叫んでいる。
「まてよ、このいたずら者、ほらすぐに
捕まえてやる」そして追いつき、捕まえた
そこで二人の甘いキスが、音高く
ヴォルガの上に響き渡る。
俺たちはあんなキスをされたことがない!
それにこの辺の町の娘の
口紅を塗った唇じゃ
あんな音はしやしない。

何かばら色の夢の中で
俺はまどろむ。眠気と暑熱が
すでに俺を支配している。
だが突然うめき声を聞きつけて
俺は岸辺に眼をやった。
川沿いを船曳人の一団が、
這うように進んでいる
引き綱で擦り切れたわらじ履きの足に
垂れた頭を擦り付けるようにして
その悲しげな叫びが
耐え難いまでにわびしく
恐ろしいほどはっきりとしじまに響き渡り
俺の胸はぎくりと震えた。

おおヴォルガ!・・・・・・わがゆりかご!
この俺ほどお前を愛した者がいようか?
朝焼けの空の下
まだ世のすべてが眠っていて
赤い光がちらりちらりと
青黒い波に照り映えるころ
俺は一人故郷の川に駆けていった
漁師たちの手伝いをして、
一緒に船に乗り
銃を手に島々を回るのだ。
あるときはじゃれまわる獣の仔のように
高い断崖から砂浜へと転がり落ち、
あるときは川の岸辺を
小石を投げながら駆ける
子供ながらに勇み肌、と
高らかに歌いながら・・・・・・
この砂の岸辺から
けっしてどこへも行くもんか――
あの頃の俺はそんな気持ちだった
そして実際どこにも行かなかっただろう
もしも、ああヴォルガよ! お前のうえに
あの咆哮が響かなかったなら!

ずっと以前、ちょうどこんな時分に
俺はその声をはじめて聞いた
俺は驚き、唖然とした
何の声か確かめたくて
延々と岸を走っていった
見ると疲れきった船曳たちが
平底船から鍋を持ち出して
座り込んで焚き火をおこし
互いの間でぽつぽつと
ゆっくり話を始めたところだった
「ニジニにはいつ着くかな?」
一人が言う。「できることなら
イリヤ祭には着きたいもんだ・・・・・・」
「まあ、着けるさ」別の、
病人のような顔の男が答える。
「ああ、災難だ! 肩さえ治りゃ
熊みたいに曳き綱を引いてやるに
仮に朝になって死んでいたって
そのほうがまだましなくらいさ・・・・・・」
男は黙り込んで仰向けに寝た。
俺には話の中身はわからなかったが
話していた男の陰気でおとなしい、病人のような姿は
いまだにありありと目に浮かぶ。
素寒貧の哀れなぼろ着姿に
へとへとになった手足
そして責めているような
静かな絶望のまなざし・・・・・・
むき出し頭で青ざめて、生きた心地もなく
晩も遅くなってから俺は、家に帰った
あそこにいたのは誰?――
みんなにおれはそう聞いた
昼間見た光景と、
皆から聞いた話に
夢の中でもうなされた。驚いた乳母は
「じっとしていなさい、いい子だから!
今日はお外に行っちゃだめ!」
だが俺は抜け出してヴォルガに向かった

だがいったいどうしたことか?
故郷の川は変わり果てていた。
砂浜を歩くのもやっと
それほど砂が深いのだ。
島々の鮮やかなみずみずしい草も
もはや俺を招くことなく
岸辺の鳥たちのなじみの声も
不吉で、妙に甲高く猛々しい
大好きな波のさざめきも
普段とは違う調べに満ちているのだ!

ああ、俺は身も世もなく号泣した
この朝故郷の川辺に立ったとき
初めて俺はこの川を
名づけたのだ
隷従と悲哀の川と!・・・・・・

そのとき俺が考えたこと、
仲間の子たちを集めて
連中の前で誓ったこと――
それはわが胸のうちに葬ろう
誰かに笑われないように!

だがもしそれがただの無邪気なうわごと、
子供の誓いにすぎなかったのなら
どうしていつまでも忘れられないのか?
そしてそのかき立てる呵責の念が
これほど強く胸を噛むのか?・・・・・・


しょんぼりとした、陰気な船曳よ!
子供時代に見覚えたとおりの姿で
今日も俺はお前を見た
歌っている歌も同じなら
曳いている綱も同じ
疲れた顔には
同じ無限の服従の表情。
何世代もの者たちが、
生きては跡形もなく消えていき、
子らに教訓を残すこともない――
厳しい環境が厳としてあるのだ!
お前の父もこの岸辺をさすらい
四〇年間うめき苦しんだ
そして死を前にしたときも
息子たちに遺すべき言葉を知らなかった
そして父親と同じようにお前も
こういう問いには行き当たらなかった
――いっそこんな我慢をやめたとしても
俺の運命はこれより悪くなるのだろうか?
父親と同じくお前も声なく死んでいき
父親と同じく無名のまま消えてゆく
囚人の鎖さながらの
くびきに縛られながら
太古から同じ単純な掛け声を
「おいっちにっ」ととなえては
痛々しい「ああ!」の合いの手を入れて
規則正しく首を振りつつ
この岸辺を歩くお前がつけた
足跡もやがて砂に埋もれていくのだ・・・・・・

D.サドーヴニコフ:『島かげから水脈へ』(1883)

島かげから水脈へ
川浪の広がる場所へと
漕ぎ出てきたのは派手な模様の
舳先の突き出た船の群れ

先頭の船にはステンカ・ラージンが
愛する公女と抱き合って
新しい結婚式を執り行い
一杯機嫌ではしゃいでいる

公女はじっと目を伏せて
生きた心地もないままに
意味もわからぬ酔っ払いの言葉を
ただおどおどと聞くばかり

「俺は何ひとつ惜しくない!
いっそ首でもくれてやろうか!」
そんな能天気な声が
周囲の岸や島にこだまする

「はてさて、みんな、親方は
俺たちを女に見代えたようだ!
一晩女と過ごしただけで
女みてえになってらあ・・・・・・

呆けたな・・・・・・!」そんな嘲りや囁きを
酔った首領がふと聞きつけて
囚われのペルシャの公女を
全身ぎゅっとかき抱く

そしてその首領の両目は
憤怒の血で朱に染まり
真っ黒な眉が目を覆い
雷の気配がただよう・・・・・・

「さて、懐かしいわが乳母!
ヴォルガよ、母なる川よ!
こんな贈物を見たことがあるか
ドンのコサックの手土産だ!

自由なコサックの前でも
自由な川の前でも
恥ずかしくないように
ほら乳母よ、こいつを捧げよう!」

エイやとばかりに力強く
囚われの公女を抱えあげると
寄せ来る波に向かって
わき目も振らずに投げ捨てた・・・・・・

「何で黙り込んだんだ、猛者どもよ?
おいおまえ、フェージカ、貴様踊らんか!・・・・・・
おいみんな、合唱せんか
あの女の供養のために!・・・・・・」


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