ヴォルガ文化圏とその表象をめぐる総合的研究 : フィールドワーク

科学研究費補助金基盤研究(A) ヴォルガ文化圏とその表象をめぐる総合的研究

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小さな町の記憶

桜間瑛
(北海道大学大学院文学研究科博士後期課程)


 2010年9月13日から22日にかけ、昨年に引き続きヴォルガ沿岸の調査旅行が行われた。今回は上流に対象を移し、いわゆる黄金の環をなす諸都市を中心に、比較的小さな町を訪れることとなった。とはいえ、個性的な人々との出会いもあり、どの町も非常に興味深い趣を示していた。

 その中でも、最も印象に残った町の一つが、トヴェリ州第2の規模を誇る、といっても人口6万強という小都市ルジェフである。この旅行がなければ、その存在自体知ることもなかったであろうこの町は、最近抱いていた現在のロシアに対するある思いについて改めて考えさせることとなった。

 筆者は、博士論文の資料収集のため、昨年度の旅行の訪問地の一つでもあったカザンに2008年の夏から現在(2010年10月)まで滞在している。その間、カザンのみならずタタルスタン共和国内の村落部などにも調査に出かけているが、その過程で否応にも目につくのが、大祖国戦争についての記念であり、その勝利の喧伝である。特に今年は対独戦勝利65周年という記念すべき(?)年として、5月9日の戦勝記念日をピークに大々的にその記念行事や展示が行われ、それにまつわる映画なども続々と公開されている。

 そうした様子をみるにつけ、筆者には強い違和感がわいてくる。それは、あまりにも勇壮でけたたましいものに映って仕方がないのである。この国では、どんな小さな村に行っても、その公民館ないし学校には大祖国戦争の参加者、犠牲者の名簿が、ときにその写真とともに飾られている。それには、確かに彼らに対する慰霊も込められているが、それ以上に強調されているのは、彼らの祖国の勝利への貢献である。そこに存在した悲嘆以上に「英雄」としての活躍への賞賛が主なものとなっている。

 確かに、ソ連はその国土で熾烈な戦闘を経たうえで勝利を手にした。この戦闘に従事した人々にとって、英雄として祖国に迎えられたい気持ちがあることは重々承知している。筆者が最初にホームステイでお世話になった家庭の旦那さんは、海軍で戦闘に従事した退役兵で、夫婦ともども5月9日の式典を楽しみにし、そこで讃えられることを誇りにしている。それは、偽らざる自然な気持ちとして理解できる。

 しかし、ロシアに住むすべての人々にとって、あの戦争の記憶がそうした栄誉や祝福に彩られているわけではない。筆者が村落部などで聞き取り調査を行っているときには、戦中戦後の生活の困難を涙ながらに語るおばあさんなども珍しくない。また、ある友人のおじいさんは、テレビで戦争ものの映画などを見るとそのたびに、「本当の戦争はこんなものではない」とつぶやいていたという。

 現在のロシアに偏在している大祖国戦争のイメージは、こうした現実にあえて目を向けることをせず、ひたすらに英雄的な姿に収斂している。そして、それは赤の広場での軍事パレードに代表されるように、現在の国力、戦力の誇示のための下地となっている。そこには、各人の記憶や過去の事実自体から飛躍した、現在のロシア国家の編み出すストーリーが織り込まれている。そして、それにすっかり彩られているように見えるこの国の現状には、一抹の危うさを感じてしまう。

 しかし、ルジェフで出会ったのは、そうした大勢とはやや趣を異にした光景であった。この町も例外なく、むしろ前面的に大祖国戦争についての表象がなされている。しかし、その内容は他の場所で見慣れたものとは異なっている。

 この町の地方誌博物館には戦史博物館が並置されている。その白亜の建物の中で我々が目の当たりにしたのは、戦時下のこの町の壮絶な戦闘と苦しみの展示であった。そこでは、他の場所のように、戦時の英雄的な姿に対して注目を当てているわけではない。

 それは、大祖国戦争における、この町での凄惨な事態の反映である。ここは長きにわたりドイツ軍の占領下に置かれ、多くの住民が収容所送りなどの憂き目にあった。そして、ソ連軍による奪回作戦も失敗が続き、その結果町は跡かたもなく破壊されてしまった。この町においては、あの戦争は喪失の記憶にほかならない。地方誌博物館の館員は、我々は勝利を得ることができなかった、もはや歴史的な建物はすべて失われてしまった、と嘆息している。戦史博物館の展示はそうした町の苦難と悲嘆を端的に代弁するものとなっている。

 そして、町の郊外にはその戦闘で命を落とした兵士たちの墓地がひっそりと構えられている。しかも、そこにはソ連兵の犠牲者を葬ったものと並んで、ドイツ兵の犠牲者を対象とした墓地も並置されている。ドイツ政府との合意に基づいて作られたというこの墓地は、単にその勝敗に収斂されるわけではない、戦争の側面を物語るものとして、貴重なものと言える。

 ソ連は長年にわたって、この町での戦いの存在そのものを否定してきたという。しかし、あえてこうした苦しみに目をそむけるような姿勢は、それを経験した人々自体を否定することになる。そして、それは新たな苦しみを招じる土壌となりかねない。現在のロシアの国家が描き、喧伝しているストーリーには、そうした危うさが付きまとっている。

 現在のルジェフは、そうした国家のストーリーとは別のところで、自らの経験を語ろうとしているように感じた。それは、その展示しているものの絶望的な様子とは裏腹に、現在のロシアへのほのかな希望すらも感じるようであった。

 が、この町を去る途中、それはひょっとして楽観的に過ぎるのかもしれない、という光景にも出くわすこととなる。バスからボーっと外を眺めていると、信号で並んで停まっていたバスの側面に印刷された、あるスローガンが飛び込んできた。そこには、「ルジェフ―軍の名誉の町」と描かれていた。この称号はごく最近、2007年にこの町に与えられたという。これを目の当たりにした時、この町の悲劇の歴史も、国家というスケールに尺を移して見ることで、勝利の過程の一コマとして、お決まりのナラティヴの中に回収されるのかもしれない、という危惧が襲ってきた。

 特に直接に戦争を経験した世代がこの世を去っていく中で、そういった読み換えはより容易になされえよう。しかし、それはこの町ひいてはロシアそのものにとって、新たな喪失となるのではないか。たとえ小さなものとしても、現在のルジェフが発している声が失われることなく、人々に響き続けることを願ってやまない。



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